戦術論 道標 [michi-shirube] Written by Kota Yoshida
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第7章 流れ
麻雀の議論で「流れ」というものがあるかないか、よく問題になるところです。
第5章「引力」の冒頭で述べた通り、定義の定かでないものの議論には限界があります。しかし、この章ではあえて定義を定めずに「流れ」について論証してみたいと思います。
先日、あるコラムを読んでいたところ、若手プロの方が「流れなど存在しない。麻雀にやめ時があるとしたら、流れが悪いからやめるのではなく、集中力が切れた時点や、設定金額に達した時点だ。」と言っていました。後半部分については全く同感です。ただ、前半部分については、その方が今までや普段どんな環境でどんな麻雀を打ってきたのかは知りませんが「流れ」はあるというのが私の考えです。
確かに競技プロの世界であれば、皆しっかりとした麻雀を打つし、ルールもインフレ化が進んでいないのでまぎれは少ないでしょう。しかし、早いスパンでの勝負(東風戦、一局精算の麻雀など)においてはそうは言えないのではないでしょうか。おそらく高レートや鉄火場に行けば行くほど、「流れ」はないという人はいなくなるでしょう。
ただ、私の結論は正確に言うと、「麻雀に流れはあるが、だからといって別に何もしないので、流れはないと唱える人と同じ結論になる」です。
次の手牌を見てください。















b.














まず a の手牌ですが、リーチかダマかは点棒状況によるとして三萬切りがセオリーです。次に b の手牌ですが、ドラ引きによる雀頭のふり変わり、イーペーコー目、現時点でも高目3900点ある事を考えると、リーチに行くか迷うところです。しかし、a で四萬を切ったり、b で即リーチと行く事もあります。ただしそれは、その手牌、他家の手牌や動向、残りの山に対する読みや勘によるものであり(それにより早く和れたり、他家への牽制といった理由)、決して「流れ」が悪いから通常と異なる打牌や食いを選択する事はありません。
世の中には爆発する牌を打てたり、亜流の空間を使う天才もいるようですが、そんな人達の真似をする必要はないと思います。そして、凡人でも様々な局面に対応する麻雀を打つ事はできます。したがって、「流れ」が悪いからいつもと違った打牌をしたり、本来食わない牌を食ったりする必要はないでしょう。読みと勘はセオリーです。例えば、食いずらさなければツモられると肌で感じた時(一年中打っていてそう何回もありませんが)は、反セオリーな食いをする事はありますが…。
また、もっと大きな「流れ」について言えば、麻雀に限らず何らかの勝負事や競技をやっていれば、良い時と悪い時、浮き沈みがあるでしょう。悪い時がどこまで続くかはわかりません。しかし、そういう時にいかに自分のスタイルを崩さず、フォームを保っていられるかがとても大事な事です。
苦しい時に発揮する力を、「実力」というのではないでしょうか。
戦術論 道標 [michi-shirube] INDEX
序章 / 第1章 赤牌 / 第2章 見切り / 第3章 スピード / 第4章 展開 / 第5章 引力
第6章 道標 / 第7章 流れ / コラム:雀荘事情・I / 第8章 反射・I / 第9章 反射・II
第10章 役満 / コラム:ルールとマナー / 第11章 奪取 / 第12章 正着打 / 第13章 槓
第14章 処理
第15章 フォーム / 第16章 オフェンス・I / 第17章 オフェンス・II
第18章 オフェンス・III / 第19章 オフェンス・IV / 第20章 切り込み / コラム:雀荘事情・II
第21章 データ戦・I / 第22章 データ戦・II / 第23章 凌ぎ / 第24章 耐力
第25章 七対子 / 第26章 牽制





