Distance -我が人生に悔いあり- Written by Takeshi.T
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Prologue
「ロン―。」
(あちゃ~、読み違えたか…。チートイに見えたのに…。)
「リーチ、一発、チートイ、ウラウラ! 18000点の3枚です!」
(えっ!! チートイ!? なんでっ!?)
信じられない事だった。
相手の捨て牌から手役を予想し、自分の手を進めるには最適な打牌。
最も安全に見えた自信の一打なのにどうして…?
リーチ者の捨て牌は





この捨て牌を見てピンフ手ではなさそうだという事は、初心者の方でも分かるであろう。
中張牌の早切り及びターツ落とし、役牌後のオタ風でリーチ、とくればまずチートイ系(シャンポンなども含む)のリーチだと読めるはずだ。
だから俺は字牌やスジに頼らず、ベタオリもしないで打九萬とした。
この打九萬は、例えばリーチ者の配牌が













ここから






































































































というようなリーチも考えられなくはない。
しかし、これだけの好配牌に好ツモが続くとはマグレとしか言い様がない。
そこまで考えると切れる牌は現物しかなくなってしまうので、私は確率を信じ打九萬とした。
マグレのピンフ手には振り込んでも良いと思ったからだ。
【このリーチ者はなぜ九萬で待ったのか?】
これがテンパイ即リーチの初心者ならば十分にあり得る。
しかしこのリーチ者は、かなりのキャリアを持った雀荘のメンバーなのである。
この待ちには果たして理論があるのか?
前巡に七萬や八萬の捨て牌があり、カンチャンやペンチャン落としを狙ったわけでもない。
七萬や八萬が河に大量に捨てられた状態(カベ)になっていたわけでもない。
私はその真意が知りたくて、対局終了後に彼に聞いてみた。
オタ風の北より九萬で待ったその理由を…。
その理論は驚くべきものであった。
自分にとってそれはとても想像できない。
「目からウロコが落ちる」とは、まさにこの事だと思った。
麻雀が強くなりたいと思ったら、まずはデジタル的な勉強を始める。
確率による正着打。相手の捨て牌から手役や手牌を想像して待ちを読む事。
私は長い間麻雀を勉強してきて、自分なりにではあるものの、正着打が打てるようになり、相手の待ちを読めるようになり、ロスの少ない打牌を選べるようになった。
しかしそこへ行き着くと同時に、デジタルの限界を感じた。
麻雀は確率だけでは勝てないと思い知らされたのである。
だからこそ麻雀は面白い!
対人間の麻雀は、デジタルだけじゃなくオカルト的な思想やメンタルな部分も多いに含まれていて、本当に面白いゲームだと私は思う。
書き出しがとても真面目(?)になってしまいましたが、これからの話は私が麻雀と出会ってからの20数年間に体験したエピソードや、愉快な人々、そして打ち方の変化などをお話ししたいと思います。
みなさんの麻雀や、麻雀に対する考えに少しでも変化をもたらす事ができたなら幸いです。
話が大分逸れましたが、先述のチートイを九萬で待った彼の理論については、最終章あたりでお話ししたいになると思いますので、最後までお付き合いいただければと思います。
私が麻雀をしていて一番楽しいと思う瞬間は、言葉を交わさずに卓上で会話をする事です。
「そんな馬鹿な」と思う人が大半でしょう。
ですが、意識レベルが最高潮に達した時に、打牌やそれこそ指先の動き、呼吸などで目など合わせなくても会話が成立してしまう事があるんです。
あのチートイを和了った彼ともそんな体験をしたことがあり、それは私の中では最高に楽しく、そして苦しい対局でした。
みなさんはどんな時に麻雀が楽しいと思いますか?
私が初めて麻雀の楽しさと出会ったのは、忘れもしない昭和50年代の小学校二年生の時。
その日は、待ちに待った少年野球チームの入団試験の日の事でした……。




